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ワシントン山()は、アメリカ合衆国北東部の最高峰(標高 6,288 フィート、1,917 m)であり、ミシシッピ川以東では麓との標高差が最も高い山である。気象が危険なほど変わりやすいことで有名である。2010年までの76年間で、頂上の気象観測所で記録した地表最大風速は、1934年4月12日午後の 231マイル/時 (372 km/h、103m/s) だった。ヨーロッパ人開拓者がこの地域に入ってくる以前、この山は「アジオコチョク」すなわち「偉大な精神の宿る所」と呼ばれていた。 ワシントン山はホワイト山地の中のプレジデンシャル山地に属し、行政区ではニューハンプシャー州コーアス郡サージェンツパーチェイス郡区に入っている。山のほぼ全域が、広さ59エーカー (0.24 km2) のホワイト山国立の森の中にあり、山頂はワシントン山州立公園になっている。 == 歴史 == ワシントン山について最初に言及したのは探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノだった。1524年に大西洋上から眺め「内陸に高く聳える」ものを見たと記していた。ヨーロッパ人開拓者がこの地域に入ってきた時に、この地域に住んでいたアベナキ族インディアンが、この山の頂上は神が住む場所であると信じ、他にも理由はあったが、その神聖さに対する宗教的な敬意故に山に登らなかった〔。ダービー・フィールドが1642年にワシントン山に初めて登頂したと主張していた。フィールドはその年6月に、アベナキ族酋長パサコナウェイに対して、部族の土地を買い上げるヨーロッパ人は、その頂上に住んでいると考えられる神に従っていないことを示すために、山に登った。これは開拓者が北に広がっていくための政治的な目的が主だった。フィールドは1642年10月にも再度アジオコチョクに登頂した。これはメイン州まで広がる土地の地図を制作する測量遠征の一部であり、その地図はマサチューセッツ湾植民地の代議員が耕作に適した海岸地域を獲得する役に立った〔。 マナセ・カトラーが率いた地質調査隊が1784年に山の名前を付けた〔Condensed Facts About Mount Washington, Atkinson News Co., 1912.〕。1819年、アメリカ合衆国でも最古の山岳ハイキング道であるクロウフォード・パスが、クロウフォード・ノッチから頂上までの乗馬道として開かれ、以降利用されている。1821年、イーサン・アレン・クロウフォードが頂上に家を建て、1826年の嵐まで残っていた〔。 頂上自体には19世紀半ばまでほとんど変化が無かったが、国内でも最初期の観光地として開発され、乗馬道が増え、ホテル2軒が建設された。頂上ハウスは1852年にオープンした。長さ64フィート (20 m) の石造りのホテルであり、4本の重い鎖で屋根を抑えていた。1853年、ティップトップ・ハウスが建設されて競合するようになった。1872年から1873年には頂上ハウスが木製の91室で再建されたが、1908年に火事で焼失した。1915年に花崗岩で再建された〔。ティップトップ・ハウスのみが火事に耐え、州の歴史史跡に指定され、近年展示のために改修された。ビクトリア期に造られた観光上の呼び物として、1861年の駅馬車道、現在のワシントン山自動車道路と1869年のワシントン山歯軌条鉄道があり、どちらも現在使われている。 1917年までの毎年夏、頂上でヘンリー・M・バートが間歇的に日刊紙「アマング・ザ・クラウド」(雲の中で)を50年間発行した。新聞は歯軌条鉄道や駅馬車で周辺のホテルや売店に運ばれた。 2010年11月、フロリダ州オーランドを本拠とし、ワシントン山麓のワシントン山ホテルを所有するCNLフィナンシャルが、「ワシントン山」を正式に商標登録したことが明らかにされた。CNLフィナンシャルはこの件を地域の他のホテルがその名前を使わないようにしたものであり、多くの地域企業が名前を使うことを規制するものではないと語っている。アメリカ合衆国特許商標庁への申請は、小売業、レストラン、娯楽産業でワシントン山という商標を使うことを規制するものである〔U.S. Trademark Applications Serial Nos. 7669738, 76690735 and 76690740〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワシントン山 (ニューハンプシャー州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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